
※これはアンチエイジング物語です。
「余命3年です」
その瞬間、音が消えた。
医師の口元は何かを話しているようだったが、耳には何も届かなかった。ただ、目の前の現実だけが、はっきりと突き刺さった。
俺は47歳。サラリーマン生活25年、家族のために働き続けた。会社では管理職に昇進し、家には妻と中学生の娘がいる。確かに仕事のストレスで体調を崩してはいたが、「まさか、自分が」と思っていた。
余命3年。それは、全てを終わらせるにはあまりにも短く、でも始めるには十分すぎる時間だった。
病院の帰り道、ふとガラスに映る自分を見て、息を呑んだ。
やつれた顔、深いほうれい線、濁った目。そこには「生きている」というより「消えていっている」自分がいた。
その夜、ベッドに横たわりながら俺は思った。
「どうせ終わるなら、自分の人生をちゃんと生きてから終わりたい」と。
翌朝、スマホで「男 アンチエイジング」と検索した。昔の俺なら、そんな言葉すら鼻で笑っていただろう。でも今は違った。
そこからの日々は、ある意味、戦いだった。
朝は早起きしてストレッチ。野菜中心の食事に変え、糖質も控えた。ランチ後にはビルの階段を10階まで登るのを日課にした。週3回のジムでは、鏡の前で自分と向き合った。
最初は苦しかった。でも1週間、1か月と続けるうちに、少しずつ肌にハリが戻り、体のキレも良くなった。そして何より、心が軽くなっていた。
「パパ、なんか最近カッコよくなったね」
娘のその一言で、涙が出そうになった。そうか、俺は“死ぬため”じゃなく、“生きるため”に変わってきたんだ。
同時に、人に会う機会も増やした。昔の友人、両親、かつて喧嘩別れした同僚。どこかで、「もう会えないかもしれない」という想いが背中を押してくれた。
そんなある日、いつも診てもらっている主治医が言った。
「最近の検査結果、すごくいいですね。もしかすると、状態が改善する可能性もあります」
…泣いた。
余命宣告から1年。俺の“死”へのカウントダウンは、いつしか“生”への歩みに変わっていた。
髪は育毛剤と食生活の改善でボリュームを取り戻し、歯はホワイトニングで見違えるように白くなった。肌も清潔感が出て、妻が冗談まじりに「芸能人みたい」と笑った。
でも、本当の変化は“内側”だった。
未来に絶望していた男が、自分の可能性に気づき、今日という1日に価値を見出せるようになった。呼吸一つ、食事一つが愛おしく感じられるようになった。
アンチエイジングとは、ただ若く見せるための手段ではない。
「自分は、まだ終わっていない」
そう信じるための、小さな決意の積み重ねだ。
そして俺は、今も生きている。
病の影は完全には消えない。でも、俺の中には確かに“生きる力”が芽吹いている。
「死を意識して、初めて本当に生きた」
そう言い切れる、今の自分が一番好きだ。