父が遺した“最後の教科書”──僕が40代で健康と向き合った理由

※これはアンチエイジング物語です。

父が亡くなったのは、僕が38歳の冬だった。

あの日、母からの電話は短く、そして非情だった。

「お父さん、倒れたの。もう……だめみたい」

病院に駆けつけたときには、すでに心停止。顔にはまだぬくもりがあったけれど、父はもう、僕の呼びかけには応えなかった。

享年66。今では早すぎる死だと誰もが言うけれど、父の人生は、不摂生そのものだった。煙草は1日2箱、酒は晩酌どころか浴びるように飲み、運動は「歩くのが嫌い」と断言していた。脂っこいものが好きで、野菜は「草だ」と嫌っていた。

「男は体が資本だ。気合で乗り越えろ」が口癖だった父は、最後の最後まで病院に行くことを拒み、そして、あっけなくこの世を去った。

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父の死が教えてくれた“未来の自分”

僕はというと、当時の生活は父にそっくりだった。

仕事に追われ、外食中心、運動不足。夜遅くまでスマホをいじっては、寝不足を翌日に引きずる。家にいる時間はどこかイライラしていて、まだ6歳だった息子にさえ、「疲れてるんだから、話しかけないで」と言ってしまうこともあった。

父の通夜の日、母の家で父の引き出しを整理していたとき、一冊の古びたノートが出てきた。

それは、父が密かに書き続けていた日記だった。

「健康診断、今年も行かなかった。もし何かあったら……と思うけど、病院は嫌だな。息子や孫に会えなくなるのは怖いけど、自分の弱さを見せたくない」

「もし時間が戻るなら、もっと体を大事にしたい。だけど、もう遅いかもしれないな」

この言葉を読みながら、涙がこぼれた。強がっていた父の、本当の姿がそこにはあった。家族を愛していたのに、自分を大事にできなかったがゆえに、その時間を奪われた男の本音が綴られていた。

「俺は、父と同じ道を歩んではいけない」

その夜、心に誓った。息子の成長を、隣で見届ける父親になる。そのためには、まず自分を変える必要がある。僕は、アンチエイジングという言葉に初めて本気で向き合うようになった。

健康は“今ここ”から始まる

翌朝、コンビニのフライドチキンをやめ、家にある玄米ごはんと野菜の味噌汁を食べた。

昼もラーメンではなく、お弁当を持参。外食やジャンクフードを控えるようにした。

それだけで、最初の1週間はかなりキツかった。禁煙にも挑戦し、酒の量も大幅に減らした。周囲の友人からは「何を目指してるんだよ」と笑われたが、構わなかった。

僕は、“息子の成人式”というゴールを見据えていたから。

毎朝30分のウォーキングを始め、週末には息子と一緒に自転車で遠出をした。体重が少しずつ減り、肌の調子も良くなり、何より気持ちが前向きになっていくのが自分でも分かった。

息子の言葉が、僕のご褒美だった

ある日、公園で息子とキャッチボールをしていたとき、彼がふとつぶやいた。

「パパ、最近かっこよくなったね!」

一瞬、何のことか分からなかった。でも、心がじんわり温かくなった。父に言われたかったその言葉を、今、自分が息子からもらったのだ。

「ありがとう。パパ、もっと頑張るよ」

それは、人生で一番嬉しい“褒め言葉”だった。

アンチエイジングは“若作り”じゃない。“生き方”だ

アンチエイジングというと、見た目を若返らせるイメージが強い。もちろん、それも大切だ。肌がきれいになると、自信が持てるし、スーツも似合うようになる。けれど、僕が本当に手に入れたかったのは、「息子の隣に立ち続ける父親としての自分」だった。

父のように、未来の大切な時間を奪われることなく、家族と笑って過ごしたい。

そのために、僕は今日もサラダを食べ、走り、深呼吸をして、早く寝る。派手じゃない。でも確実に、自分の人生が変わっていることを、今は実感している。

未来の僕へ

この文章を、50歳の自分が読んでいると想像しながら、今、書いている。

「お前は、あのときちゃんと変わったぞ。だから、今、健康でいられる」

そう言ってやれる日が来ると信じている。

そして、父にも。

「お父さん、ありがとう。あなたの最後の言葉が、俺を生き返らせてくれたよ」

父の死は、僕にとって“終わり”ではなく、“始まり”だった。

これが、僕のアンチエイジング物語だ。